1分でわかる肺がんの症状

肺がん闘病記・体験談③

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極初期で発覚した父の肺がん

私の父が2008年6月頃の会社の集団検診で見つかり、手術しました。年齢は63歳です。

発症といっても自覚症状は全くなく、一旦定年退職したのですが再雇用制度で働くようになり、その集団検診のレントゲンで、怪しい小さな点が発覚。

その後、精密検査を受けたら腫瘍ということで内視鏡手術を受けました。

MRIできれいに腫瘍らしきものが写っていたので内視鏡手術となり、その際に悪性か良性かを判断しなければいけなかったので、すぐに組織を採取し、検査した結果、スキルス性ガンであることが分かったのです。

すぐに右肺全摘出手術に切り替わり、右肺を全て摘出しました。

腫瘍ができた位置が甲状腺などリンパなどに関係のない肺本体にできていたので転移はなく、術後、呼吸の練習をしてから退院し、抗がん剤治療はありませんでした。

しかし、油断はできないので3か月おきに病院でのMRI撮影や血液検査などの検査は受けなければならず、片方の肺がなくなったので慣れるまで息苦しそうにしていました。

酸欠状態にもなりやすかったので仕事量も減らしてもらいながらも仕事は続けました。

通院を5年間続け、他の部位への転移は認められなかったので「一応完治ということにしますが1年に1回は必ず胸部レントゲンは撮影してください」と言われ、ガンから生還となりました。

原因と言われると難しいのですが、実家の近くにたくさんの石綿工場がありました。

石綿というとよく訴訟になっている物質で吸うと肺がんのリスクがあると言われています。それが原因というのは断言できませんが、関連はあるかもしれません。

自覚症状がないのに、集団検診のレントゲン技師が、「これは怪しい」と判断されなければスキルス性ガンでしたので放置していれば、今頃は天国にいたのかもしれません。
 
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アスベストが原因で肺がん闘病

私の祖父は肺がんで闘病していました。発症時の年齢は62歳、毎日、咳が酷く、気管支喘息持ちだった祖父は、最初は喘息だと思っていたようです。

祖父はかかりつけの小さな町医者で喘息と診断され、薬を飲んでましたが症状は悪化するばかりでした。

痰の量が多く、食べ物を飲み込むのに苦戦したり、胸に時々痛みが走ると訴えるようになった祖父。長く続く咳やこれらの症状に違和感を感じ、母が祖父を大きな病院に連れて行きました。

詳しい検査をしたところ、肺がんと診断されました。原因は、祖父が若いころにしていたアスベストを扱う吹き付け工の仕事でした。

医師曰く、胸膜肥厚斑が出ていると言われアスベストが原因であるとわかりました。胸膜肥厚とは肺の外側を覆う胸膜の一部が厚くなる病変のことです。

アスベストはとても細かい物質で吸い込むと肺の組織に刺さり、20~50年の長い潜伏期間を経てがんを引き起こすそうです。

祖父の場合、放射線治療と抗がん剤の併用でした。治療を続けてゆくうちに癌も小さくなり、寝ていることが多かった祖父も元気になり治療から2年後くらいには、定年後働いていた警備会社に復帰しました。

しばらくの間、祖父は警備員として仕事してましたが、何年か経ったある日のこと、また、肺がんが再発してあちこちに転移してしまいました。

既にもう手の施しようがなくなっている状態でした。それ以降、祖父は入退院を繰り返し、自宅にいる間は酸素のボンベが手放せない身体になりました。

肺がんは最も再発を繰り返しやすい癌だそうです。

祖父が75歳になった七夕の夜、祖父は息を引き取りました。治療の甲斐あり、発症から十年以上、生存できたのだと思います。
 

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